終戦記念日 広島と長崎の原爆で戦争が終わった?

 

世界ではいまだに、戦争や国内紛争の続いている国があります
今の日本は経済危機に瀕しているものの、世界的に見れば
特異稀なる平和ボケしている国と言えるでしょう。

 

しかし、今から約70年ほど前の日本は、国家一丸となって、敵国
アメリカと戦争をしていたのです。開戦当初は勢いのあった日本
でしたが、圧倒的な国力の差により次第に形勢が悪化していきます。

 

 

日本の働き手であった男たちが皆、戦争に出てしまったことにより、
国内の生産性が低下して、必然的に物資が不足することで、食品は
元より、戦いに必要な武器、弾薬なども底を突き始めました。

 

■原子爆弾が投下された■

 

米国は原爆の人体実験及び、軍事力を知らしめる為、そして、唯一、
軍事設備や戦闘物資の残る広島を圧政し、さらには、冷戦状態にあ
ったソビエト(現・ロシア)への軍事的パフォーマンスの意味も含め

 

昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分 広島市街に原爆を投下

 

米国の大型爆撃機ボーイング-29(B-29)通称「エノラ・ゲイ」から
投下された、たった一発の原子爆弾「リトルボーイ」により、
のどかで平和だった広島の街は、一瞬にして壊滅状態となりました。

 

 

投下後の爆心温度は、太陽の表面温度よりも高い、摂氏100万℃
と言われていますので、中心に近い場所では、焼けるというよりも
すべての物質が、蒸発に近い形で一瞬にして消えたと考えられます。

 

その3日後、同年8月9日 午前11時2分 同型機 B-29「ボックスカー」
により、原子爆弾が投下。広島原爆のおよそ150%増の威力がある
「ファットマン」も同様に長崎の町を焼き尽くしました。

 

 

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これ以上戦争を続けたら、日本は終わってしまう・・・

 

既に、ポツダム宣言が出たあとも日本が、それを黙殺したことで
アメリカは、あの恐ろしい暴挙に出てしまったわけですが、二発の
原子爆弾、および、ソ連対日参戦により、後が無いと感じた日本は

 

昭和20年(1945年)8月14日に、ポツダム宣言を受諾することとなり、
翌15日に、天皇陛下の玉音放送をもって、戦争の終結が日本国民に
発表されたことで、現在の終戦記念日となっています。

 

ゆえに、広島と長崎の原爆投下によるアメリカの脅威的武力が、
直接の終戦理由では無かったですし、降伏においても、実際は条件
付きでしたから、正確には無条件降伏では無かったとも言えます。

 

 

 

なにはともあれ、これにより、日本は終戦を迎えました。

 

太平洋戦争は、大東亜戦争とも呼ばれ、アメリカと日本における
第二次世界大戦の一つとして、歴史に深く刻み込まれました。

 

この戦争によってもたらされた日本の被害数

 

■牲者総数

軍人 / 230万人
民間人 / 80万人
計 / 310万人

 

■被爆者数

死者・行方不明者(当時)

広島 / 約13万人
長崎 / 約7万5千人

死者・行方不明者(その後)

死者総数 / 35万人
被曝者数 / 20万人

 

■被害総額

/ 1350億円
※昭和20年当時の貨幣価値

 

 

No more Hiroshimas, no more Nagasakis!

 

広島と長崎の原爆投下により、日本は唯一の被爆国と呼ばれました
皮肉にも、2011年3月11日の東日本大震災によって、さらに、その
イメージが強まっているような気がします。

 

それゆえ「核」の恐ろしさを一番良く知っているのも日本人と言え
ます。戦争、そして、原爆は、深い悲しみを残すだけです。今後は
未来永劫、平和な世界が続くよう心から願いたいものです。

 

戦争で尊い命を犠牲にされた方々に心から哀悼の意を表し、また、
ご遺族並びに、今もなお、不自由な生活を余儀なくされている、
戦傷病者の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。